統合失調症と診断されてから、私はずっとどこかで怒っていました。
どうして、この子なんだろう。
これまで普通に生活してきた。
勉強もスポーツも誰よりも頑張ってきた。
本人なりに一生懸命、これからの人生を作ろうとしていた。
それなのに、どうして今になって統合失調症なんだろう。
病気について調べても、制度について調べても、治療について調べても、
心のどこかにはずっと、
「悔しい」
という気持ちがありました。
でも、ある時本人から聞いた一言で、私の考え方が少し変わりました。
私は聞きました。
「いつ頃から、頭の中がにぎやかだったの?」
本人の答えは、私が思っていたよりずっと昔でした。
幼稚園くらいの頃から、本人にしか分からない「声」のような体験があったらしいのです。
その時の私の気持ちは、
「えっ!?」
という驚きより、
「そうなんだ」
でした。
そして、その次に思ったのが、
「そんな頃からあったんかい」
でした。
なんというか。
完敗でした。
私が異変に気づいたのは、入院のわずか数日前だった
家族から見た発症は、本当に突然でした。
私が最初に、
「なんとなく、いつもと違う」
と思ったのは、入院の5日前です。
そこから独り言が増え、
会話がかみ合わなくなり、
事実とは違う話が増え、
最後には自分で警察を呼び、
精神科へ入院しました。
→ 入院5日前|最初に感じた小さな違和感。お腹の張りと、いつもと違う行動
私の中では「数日で突然起きた病気」だった
だから私は、
統合失調症という病気が、
突然この子の人生に入り込んできたように感じていました。
昨日まで普通だったのに。
どうして今なの。
どうしてこの子なの。
そんな気持ちでした。
病気に、
突然、今までの人生を邪魔された。
そんな感覚に近かったと思います。
だから「なんでこの子が」という怒りがあった
統合失調症について調べれば調べるほど、
この先の生活、
仕事、
再発、
薬、
制度、
いろいろなことを考えることになります。
親としては、
「病気にならなかった人生」
をどうしても想像してしまいます。
もし病気になっていなかったら。
あのまま勉強していたら。
予定していた道をそのまま進めていたら。
私はずっと、
病気になる前の人生と、今を比べていた
のだと思います。
「いつから頭の中がにぎやかだった?」と聞いてみた
入院して少しずつ本人と話せるようになった頃、
私は気になっていたことを聞きました。
「いつ頃から、頭の中がにぎやかだったの?」
私は、
「最近かな」
くらいの答えを想像していました。
でも本人から出てきたのは、
幼稚園くらいの頃の話でした。
幼い頃から「声」のような体験があったらしい
本人の話を聞く限り、
かなり幼い頃から、
本人にしか聞こえない声のようなものを感じることがあったようです。
私は知りませんでした。
本人から相談されたこともありません。
家族から見て、
幼い頃の本人に明らかな異常があったという認識もありませんでした。
言葉が遅かったわけでもありません。
普通に話していました。
普通に学校生活を送り、
勉強もしていました。
「そんな頃からあったんかい」と思った
これを聞いた時、
私はなぜか大きくショックを受けませんでした。
むしろ、
「そうなんだ」
でした。
そして、
「そんな頃からあったんかい」
と思いました。
私が最近になって、
「なんでこの子なんだ」
「突然こんな病気になって」
と怒っていた。
その一方で本人は、
私が気づくよりもはるか前から、
自分でも説明できない何かを抱えていたのかもしれない。
そう考えると、
病気相手に、
「なんで今なの!」
と怒っていた自分が、
なんだか力尽きたというか。
もう、
完敗。
そんな気持ちになりました。
もちろん「幼稚園から統合失調症だった」という意味ではない
ここは誤解がないように書いておきます。
本人が幼い頃から声のような体験をしていたからといって、
私は、
「幼稚園の頃から統合失調症だった」
と考えているわけではありません。
統合失調症では、周囲には聞こえない声が聞こえる幻聴が代表的な症状の一つですが、診断は幻聴だけで決まるものではありません。
NCNPも、統合失調症には幻覚や妄想だけでなく、意欲や感情表現の変化、認知機能などさまざまな症状があると説明しています。
関連サイト:統合失調症|NCNP病院 – 国立精神・神経医療研究センター
子どもの幻覚様体験にはさまざまな経過がある
子どもや思春期に声を聞くなどの幻覚様体験が報告されることはありますが、その多くは必ずしも統合失調症につながるものではなく、一過性の場合もあります。
統合失調症以外のさまざまな状態でも生じ得るため、幼少期の体験だけを後から一つの診断に結びつけることはできません。
だから、
本人が幼い頃に感じていたものが何だったのか。
現在の病気とどこまでつながっているのか。
私には分かりません。
これは、
今回の入院後、本人自身が語ってくれた過去の体験
として記録しています。
本人は「今回の病気で腑に落ちた」と言った
そして、もう一つ印象に残ったことがあります。
本人は、
今回の病気になったことで、
昔から自分の中で謎だったことが、いろいろ腑に落ちた
というような話をしました。
私は、
「それはどういう感覚なんだろう」
と思いました。
本人には昔から「何なんだろう」があったのかもしれない
私にとっては、
今回初めて現れた病気です。
でも本人にとっては、
昔から、
「これは何なんだろう」
「どうしてこうなるんだろう」
と思っていたものがあったのかもしれません。
そして今回、
「統合失調症」
という病名を知ったことで、
本人なりに過去と現在がつながった。
そういうことなのかもしれません。
もちろん、これは私から見た推測です。
でも私は、
病気になってショックを受けているだけではなく、本人が少し安堵しているようにも見えました。
「悔しくないの?」と本人に聞いた
私はどうしても不思議でした。
私はこんなに悔しい。
なのに本人は、
思っていたより淡々としています。
そこで、聞いてみました。
「悔しいとか、どうして私が、って思わないの?」
本人は、
「それを言ったところで、ならない前には戻らないし」
というようなことを言いました。
私は、その言葉を聞いて、
ちょっと言葉に詰まりました。
私より本人の方が、先を見ているように感じた
私はずっと、
「病気にならなかった人生」
を見ていました。
本人は、
少なくともその時は、
もうそこを見ていないように感じました。
病気になってしまった。
ならなかったことにはできない。
だったら、その先をどうするか。
本人の中では、
意外とシンプルなのかもしれません。
もちろん、
これから本人が落ち込むことも、
悔しくなることも、
腹が立つこともあると思います。
今の一言だけで、
「完全に病気を受け入れた」
なんて私は思っていません。
でも少なくとも、
私よりずっと現実的に今を見ているように感じました。
もしかすると「原因が分かって、少し楽になった」のだろうか
本人を見ていると、
私は時々思います。
病気になったこと自体はもちろん大変です。
でも本人にとっては、
それまで説明できなかったものに、
初めて一つの説明がついた。
それで、
少しすっきりした部分もあるのではないか。
と。
私には「喪失」、本人には「説明」だったのかもしれない
私は、
「失ったもの」
ばかりを見ていました。
以前の生活。
予定していた進路。
病気がなかった未来。
でも本人にとって今回の診断には、
それとは別に、
「自分の中でずっと分からなかったものに名前がついた」
という意味もあったのかもしれません。
それなら、
親と本人の受け止め方が違うのも当然なのかもしれません。
私は外から見ていた。
本人はずっと、自分の内側を生きてきたからです。
この話を聞いて、私の考え方が変わった
この頃から、
私は少しずつ考え方が変わってきました。
それまでは、
「元に戻してあげなければ」
という意識が強かったと思います。
病気になる前の本人に戻る。
以前予定していた人生に戻る。
できていたことを、また全部できるようにする。
そんな方向ばかりを見ていました。
「元に戻す」より「ここから作る」
でも、
「幼稚園くらいから頭の中がにぎやかだった」
という本人の話を聞き、
さらに、
「ならない前には戻らないし」
と言う本人を見て、
少し違うのかなと思いました。
病気になる前の人生を再現することだけが、回復ではない。
本人が今いる場所から、
これからの人生を作っていけばいいのかもしれない。
そう思うようになりました。
私の方が、病気を受け入れるのに時間がかかっているのかもしれない
考えてみれば、
本人は自分の身体と頭で、
今回の病気を経験しています。
私は外から見ています。
だからこそ私は、
「以前はこうだった」
という本人を強く覚えています。
そして、
その本人を取り戻したくなる。
でも本人は、もう「今の自分」から始めている
本人の、
「ならない前には戻らないし」
という言葉は、
私にとってかなり大きなものでした。
確かにそうです。
戻せない。
だったら、
これからどう生きるかを考えるしかない。
親である私の方が、
その切り替えに時間がかかっているのかもしれません。
「なんでこの子が」から「じゃあ、これからどうしよう」へ
病気になってから、
私は何度も、
「なんでこの子なんだろう」
と思いました。
今でも、まったく思わなくなったわけではありません。
でも、
幼い頃からの本人の体験を聞き、
本人自身の受け止め方を知って、
少しずつ、
問いそのものが変わってきました。
「なんでこの子なの?」
ではなく、
「じゃあ、この子のこれからをどうしよう」
へ。
この先の人生全部を、病気に渡す必要はない
統合失調症になったという事実は変えられません。
でも、
本人の人生全部が統合失調症になるわけではありません。
好きなこともある。
得意なこともある。
苦手なこともある。
働くことも、
楽しむことも、
これから考えていけばいい。
統合失調症による認知機能の課題や社会生活への影響は研究されていますが、支援や治療では症状だけでなく、本人の生活・就労などを含む社会機能も重要な課題とされています。
私は、
病気になる前の人生を取り返すことではなく、
今の本人に合う人生を一緒に考えること
に力を使いたいと思うようになりました。
今振り返って思うこと
私は、
「統合失調症になった本人が一番悔しいに決まっている」
と思っていたところがありました。
でも、
少なくとも今の本人は、
私が想像していたのとは少し違います。
「どうして私が」と怒り続けているようには見えません。
むしろ、
長年自分の中で説明できなかったものに、
少し説明がついて、
安堵しているようにさえ見える時があります。
本当の気持ちは本人にしか分かりません。
これから変わることもあるでしょう。
でも、
「ならない前には戻らないし」
という言葉は、
私の方を前に向かせてくれました。
そして、
「幼稚園くらいから頭の中がにぎやかだった」
という話を聞いて、
私の中にあった、
「なんで今、こんなことになったんだ」
という怒りにも、
少し区切りがつきました。
そんな頃からだったんかい。
だったらもう、
過去と勝負していても仕方がない。
完敗です。
ここからです。
本人がこれからどんな生活をしたいのか。
何ができるのか。
何なら無理なく続けられるのか。
一緒に探していけばいい。
今は、そんなふうに考えています。
次の記事では、
本人に昔からあった、
「数学・物理・化学は非常に得意なのに、国語や社会は極端に苦手だった」
という大きな得意不得意について、
今回の病気を知った今、家族としてどう見ているのかを書こうと思います。
→ 数学・物理・化学は得意、国語と社会は苦手だった|発症後に振り返る昔からの得意不得意


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