家族が精神科に入院した日のことを書いておこうと思います。
今振り返ると、その数日前から明らかな異変はありました。
けれど、この日の明け方に起きた出来事で、私は初めて、
「これはもう、家族だけで何とかできる状態ではない」
とはっきり理解しました。
その数時間後、子どもは精神科病院に入院することになります。
まさか、その日の朝にはまだ、自分の子どもが精神科の閉鎖病棟へ入院することになるとは思っていませんでした。
明け方、家の中で異変が起きた
明け方、飼っている犬がひどく鳴いていました。
「何だろう」
と思って起きてみると、寝ていたはずの子どもがいません。
階下から人の話し声が聞こえてきました。
慌てて下りていくと、玄関付近に警察の方がいました。
そして外では、子どもが別の警察官と話をしています。
警察を呼んだのは、子ども本人でした。
私は何が起きているのか、すぐには理解できませんでした。
自分が犯罪を犯そうとしたと思い込んでいた
子どもはこの頃、現実とは違うことを強く信じ込むようになっていました。
このときは、
「家族に危害を加えようとした」
「自分は悪いことをした」
というような内容を確信し、自分から警察に連絡したようでした。
さらに、自分自身や家族との関係についても、現実とは異なる話をしていました。
数日前まで普通に生活していた子どもが、目の前でこうした話をしている。
それでも私はまだ、どこかで、
「話せば分かるのではないか」
と思っていた気がします。
警察の方には病院を受診する予定だと伝えた
幸い、その日の朝には精神科へ相談するつもりでいました。
警察の方にも、
「朝になったら病院へ連絡します」
と説明しました。
子ども自身も警察の方と、
「明るくなったら病院へ行く」
という話をしていました。
その場では大きな騒ぎにはならず、警察の方は帰っていきました。
子どももしばらくすると、再び横になりました。
けれど私は、もう眠ることなどできませんでした。
「これは相当まずい」と初めて腹に落ちた
それ以前から、明らかに様子がおかしいとは思っていました。
言っていることがおかしい。
現実と本人の認識が合っていない。
食事も十分取れていない。
表情も少ない。
頭痛もかなり強く訴えていました。
それでも親というのは不思議なもので、
「疲れているのでは」
「少し休めば」
「病院で診てもらえば」
と、どこかで日常の延長として考えようとしてしまいます。
でも、自ら警察を呼ぶところまで来たことで、私の中で何かが切り替わりました。
家族だけで説得する段階ではない
この時、初めて、
「もう私が説得してどうにかする話ではない」
と思いました。
本人にとっては、妄想の中で起きていることが「現実」なのだと思います。
こちらが、
「そんなことしてないよ」
「あなたはちゃんと家族だよ」
「大丈夫だから」
と言ったところで、その言葉が入っていかない。
私はこの日まで、精神疾患についてほとんど知識がありませんでした。
後から振り返れば、家族の言葉だけで何とかしようとしていたこと自体に無理があったのだと思います。
専門家につなげなければいけない
恐怖というより、この時の私に強かったのは、
「何としてでも今日、医療につなげなければ」
という気持ちでした。
朝になったら病院へ電話する。
診てもらえるところを探す。
もし入院が必要と言われたなら、それも受け入れる。
この時点で、私はそう腹をくくり始めていました。
ただ、このあと実際に病院を探してみると、
「今日診てもらいたい」と思っても、簡単には診てもらえない
という別の問題にぶつかります。
→ 入院1日目②|精神科を今日受診したい。でも予約は先だった。緊急相談から病院が決まるまで
その日の朝、私は入院を想定して準備を始めた
朝になり、私は食事を用意したり、持って行けそうなものを準備したりしました。
この時点では入院が決まっていたわけではありません。
でも、
「今日はすぐには帰ってこられないかもしれない」
という予感はありました。
食べられるかもしれないと思って軽い食事も用意しました。
ところが子どもは食欲がなく、かなりつらそうでした。
熱もあり、頭痛を強く訴えていました。
前日までと比べても口数が減り、表情も乏しくなっていました。
一方で、不思議なこともありました。
病院へ行くという話そのものは覚えていて、自分で着替えることもできました。
全部が分からなくなっているわけではない。
いつもの子どもの部分も、ちゃんと残っていました。
これは、その後の入院中にも何度も感じることになります。
「普通の本人」と「病気に支配されている本人」が行き来していた
この日の子どもを思い返すと、私は今でも不思議な感覚になります。
明らかに現実とは違うことを言っている時がある。
でも、そのすぐ後に、
「いつもの子どもだ」
と思える瞬間もありました。
この二つが、短い時間の中で入れ替わるように見えました。
おかしなことを言っているのに、普通の会話もできる
家族について現実と違うことを言っていたかと思えば、普通にこちらの話を聞いている。
強い思い込みにとらわれていたかと思えば、こちらを気遣うような言葉が出てくる。
この状態をどう理解すればいいのか、当時の私はまったく分かりませんでした。
「分かっているの?」
「分かっていないの?」
そのどちらとも言い切れませんでした。
後になって統合失調症について調べ始めた
入院後、私は統合失調症についてかなり調べるようになります。
症状についても、家族の接し方についても、薬についても、認知機能についても、この時点ではほとんど知りませんでした。
だから、このブログでは、
その時の私が実際に見たこと
と、
後から病気について調べて分かったこと
を、できるだけ分けて書いていこうと思っています。
→ 統合失調症の前兆とは?家族が初発後に振り返って感じたこと
この時の私には「病名」より「助けてほしい」が大きかった
この日の朝、まだ正式な診断は受けていませんでした。
ネットで調べながら、
「もしかして統合失調症なのでは」
とは考え始めていました。
でも、その時点で私にとって病名は、それほど重要ではなかったように思います。
何という病気でもいい。
とにかく、
「この状態を何とかしてほしい」
それだけでした。
警察が帰ったあと、私は朝になるのを待って病院へ電話しました。
しかし、そこでまた想定外のことが起きます。
近くの専門病院に電話しても、すぐには診てもらえなかったのです。
そこから県の精神科の緊急相談につながり、受け入れてくれる病院を探してもらうことになります。
そして病院が決まったあとには、今度は、
本人がまったく動かなくなる
という問題が待っていました。
この続きは次の記事に書きます。
→ 入院1日目②|精神科を今日受診したい。でも予約は先だった。緊急相談から病院が決まるまで
この日の記録を今振り返って
この日の明け方の警察騒ぎが、私にとって大きな境目だったと思います。
それまでも異変には気づいていました。
でも、
「家で休ませながら様子を見る」から、「専門家に任せなければならない」へ
考えが変わったのがこの日でした。
このあと子どもは精神科を受診し、その日のうちに入院することになります。
診断を聞いた時、私は強いショックを受けるというより、
「やっぱりそうだったのか」
という気持ちの方が大きかったのを覚えています。
ただ、その日の最後に私が見ることになった光景については、今でもはっきり覚えています。
それは第3回で書こうと思います。

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