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入院4日目|「作ってくれた人に悪い」食事を残せず悩んだ日

📖 ある日からの記録
🔒 本人のプライバシー保護のため、一部の情報をぼかして記載しています。

※ここから数日間は、当時の細かなメモが残っていません。
面会時の様子や家族とのやり取りを、今の記憶をたどりながら書いています。
日にちごとの細部には多少前後がある可能性がありますが、大きな流れや本人の変化については、覚えている範囲でそのまま残します。

入院4日目。

前日の点滴でかなり怖い思いをした本人は、

「もう点滴は嫌だから、おかゆなら少し食べる」

と言うようになりました。

→ 入院3日目|「点滴はもう嫌」食べられなかった本人が、おかゆを食べると言った日

ここから少しずつ、本人は食べられるものを口にするようになります。

でも、食べ始めたら食べ始めたで、今度は別の困りごとが出てきました。

小麦と乳製品を避けた食事にしてもらっていた

入院時、本人は小麦と乳製品を避けたいと伝えていました。

病院ではかなり丁寧に対応してくれて、食事から小麦を徹底して外してくれていました。

大好きな魚が多く、本人はむしろ喜んでいた

小麦を避けるぶん、食事には魚料理が多くなることもありました。

本人は魚が好きなので、そこはむしろ嬉しそうでした。

病院の食事について、本人が全部嫌がっていたわけではありません。

「これは好き」

「これは食べられる」

というものもありました。

パンの代わりに、おかゆが出るようになった

一方で、周りの患者さんがパンの時には、本人にはおかゆが出ました。

この頃はまだ食欲がかなり落ちています。

しかも、おかゆは水分が多いぶん、どうしても見た目の量が増えます。

本人には、その量がかなり多く感じられていました。

「作ってくれた人に悪いから、残せない」

本人は、食事を見ながら困るようになりました。

「作ってくれた人に悪い」

「残したら悪い」

と何度も言います。

食べきれないのに、残すこともできない

本人は、まだ食欲がありません。

だから、全部食べるのはしんどい。

でも、残すことにも罪悪感がある。

看護師さんやスタッフも、

「気にしないで残していいよ」

と言ってくれました。

それでも本人には、なかなかそれができませんでした。

食べきれない。

でも残したくない。

本人の中で、そんな葛藤が始まりました。

元々の「くそ真面目さ」が強く出ているようにも見えた

本人は元々、かなり真面目なタイプです。

人に迷惑をかけたくない。

ルールは守りたい。

誰かがしてくれたことを無駄にしたくない。

そういうところがあります。

だから私は、

「これも病気なのかな」

と思う一方で、

元々の本人らしさが、今すごく強く出ているのかもしれない

とも思いました。

何でも症状として片づけるのは違う気がしました。

「おかゆじゃなくて白米にしたら?」という話になった

本人から、

「どうしたらいい?」

と相談されました。

そこで私は、

「おかゆだから水分のぶん量が多く見えるんじゃない?」

と話しました。

白米なら、同じくらい食べても量が減る

本人は、おかゆそのものが嫌なわけではありません。

でも、とにかく量が多く感じる。

それなら、白米に変えてもらえば、水分のぶんだけ見た目の量は減ります。

「白米にしてもらったら?」

と話すと、本人も納得したようでした。

本人が自分でスタッフにお願いしに行った

そして本人は、自分でスタッフに、食事を白米へ変えられないかお願いしていました。

私は、そこにも小さな変化を感じました。

数日前までは、何をするにも不安そうで、ほとんど自分から動けなかった本人が、

自分の困りごとを言葉にして、自分で相談する

ようになっていました。

それは、本当に小さなことかもしれません。

でもこの頃の私には、十分大きな一歩に見えました。

私が持っていくお茶も、少しずつ飲めるようになった

前日までは、ペットボトルの飲み物をかなり警戒していました。

でも、この頃から水分は少しずつ取れるようになってきました。

800mlの水筒と500mlの飲み物を飲めるようになった

私は、家で作ったお茶を毎日持って行っていました。

本人は、私が作ったものなら飲めると言います。

この頃には、800mlくらい入る水筒と、追加の飲み物も少しずつ飲めるようになってきました。

食事も水分もほとんど取れなかった数日前と比べれば、かなりの変化です。

「もっと大きな水筒を持っていこう」と思った

ただ、本人はまだペットボトルには抵抗がありました。

そこで私は、中学生の頃、部活で使っていた大きな水筒を思い出しました。

2リットルくらい入る水筒です。

「あれにお茶を作って持っていけばいいか」

そう思いました。

本人が安心して飲めるものなら、とりあえずそれでいい。

この頃の私は、そんなふうに考えていました。

光と音へのつらさは、まだかなり強かった

食事の面では少しずつ前に進んでいましたが、光と音はまだかなりつらそうでした。

暗い保護室から明るい廊下へ出るのも大変だった

本人は、

「光がつらい」

「頭が痛い」

とよく言っていました。

暗い保護室から、明るい廊下へ出るだけでも、かなりしんどそうでした。

面会も、明るい場所ではなく、暗い部屋で話すことが多かったです。

本人にとっては、その方が楽だったようです。

音にも敏感で、大きな声を嫌がった

音への敏感さも続いていました。

病棟の声や物音。

少し大きな声。

そういうものを、かなり嫌がりました。

頭痛も何度か訴えていました。

何がどこまで病気の影響なのか、薬や疲れが関係していたのか、私には分かりません。

ただ、

本人にとって「静かで暗い場所」が一番落ち着く

ということだけは、はっきりしていました。

保護室と大部屋を行ったり来たりしていた

この頃は、ずっと保護室に閉じこもっていたわけではありません。

少しずつ、大部屋で過ごす時間も増やしていたようです。

疲れたら、自分で保護室へ戻っていた

本人は、大部屋に行ってみる。

でも、光や音で頭が痛くなる。

そうすると、

「頭痛いから戻ります」

と言って、保護室へ戻る。

そんな感じだったようです。

私には、病院側が少しずつ環境に慣らしているようにも見えました。

自分で「無理」と判断できていた

この頃、私は本人が、自分の状態を少しずつ言葉にできるようになってきたことにも気づきました。

「頭が痛い」

「光がつらい」

「戻りたい」

そうやって、無理な時には自分で言える。

入院直後の、何もかもが混乱していた状態から考えると、これも大きな変化でした。

面会時間まで気にする、いつもの真面目な本人が戻ってきた

面会時間は、スタッフによって多少違っていました。

短い時もあれば、結果的に長く話せる日もありました。

「15分だよね。帰った方がいいかもよ」

そんな中、本人の方から、

「15分だよね」

「もう帰った方がいいかもよ」

と言うことがありました。

私は、

「そこまで気にしなくても」

と思いました。

でも本人は、とにかくルールが気になるようでした。

「これで退院が延びたら」と考えていたのかもしれない

本人が実際にそう言ったわけではありません。

でも私は、

「ルールを破ったと思われたらどうしよう」

「これで退院が延びたらどうしよう」

そんなことまで心配しているのかな、とも感じました。

このあたりにも、いつもの本人らしい、

くそ真面目さ

が戻ってきていました。

攻撃的な様子は、もうほとんどありませんでした。

話している本人は、いつもの穏やかな本人にかなり近づいていました。

「3か月って長いね」

この頃、本人は入院期間についても気にするようになっていました。

「3か月って長いね」

と、ぽつりと言いました。

「3か月必ずいるわけじゃないよ」と伝えた

私は、

「3か月って決まってるわけじゃないよ」

「それは最長くらいに考えておけばいいんじゃない?」

というような話をしました。

医師からも、状態によっては早く退院できる人もいると聞いていました。

だから私は、本人が、

「3か月ここにいなきゃいけない」

と思わないようにしたかったのだと思います。

本人も少しずつ「先」を考え始めていた

入院直後は、

ただ怖い。

帰りたい。

置いていかれたくない。

そんな気持ちが強かったように見えました。

でもこの頃には、

「いつまでここにいるんだろう」

「どうなったら帰れるんだろう」

という、少し先のことも考え始めていました。

それも、状態が少し落ち着いてきたからこそ出てきた言葉だったのかもしれません。

今振り返って思うこと

入院4日目。

少しずつ食べられるようになり、

水分も取れるようになってきました。

その一方で、

「作ってくれた人に悪いから残せない」

という、新しい困りごとが始まりました。

食べられない。

でも残せない。

その本人なりの葛藤の中で、

「じゃあ白米にしてもらおう」

という方法を一緒に考え、本人自身がスタッフへ相談しました。

ほんの数日前まで、何もかもが怖くて、人も食事も飲み物も警戒していた本人が、少しずつ、自分の困りごとを言葉にできるようになっていました。

光や音はまだつらい。

頭痛もある。

疲れたら保護室へ戻る。

それでも、自分で、

「無理だから戻ります」

と言える。

面会時間まで気にするほど、いつもの真面目な本人も戻ってきていました。

私はこの頃、回復というのは、

派手に「治った」と分かるものではなく、

こういう小さな本人らしさが、一つずつ戻ってくることなのかもしれない

と感じ始めていました。

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