入院3日目。
前日に、
「明日はもっと早く来るよ」
と本人に伝えていたので、この日は午後の早い時間に病院へ向かいました。
病院に着いたのは3時頃。
本人は点滴を受けていました。
入院してから、ほとんど食事が取れていません。
水分もあまり取れていなかったようです。
頭痛も続いていました。
それでも、表情や話し方は、少しずついつもの穏やかな本人に戻ってきているように見えました。
ただ、この日の本人には、まだとても強いものが残っていました。
「怖い」
という感覚です。
食事も水分も取れず、点滴を受けることになった
入院してから、本人はほとんど食べられていませんでした。
前日も、白いご飯をほんの少し口にした程度です。
水分も十分ではなく、この日は午後から点滴を受けることになりました。
朝はエビリファイ、夜はオランザピンを服用していた
この頃は、朝と夜に抗精神病薬を服用していました。
朝はエビリファイ。
夜はオランザピンです。
医師からは、夜の薬には眠気が出たり、食欲が増したりすることがある、という説明を受けました。
それでも本人には、まだ食欲がありませんでした。
医師も、症状が十分に落ち着いていないことなどを含めて、状態を見ているようでした。
将来的には、状態が安定すれば、できるだけ負担の少ない薬の使い方にしていきたい、という趣旨の説明もありました。
「食べない」という別の心配が始まった
入院前は、独り言や妄想、会話がかみ合わないことばかりが気になっていました。
ところが入院すると、今度は、食べない。飲まない。
ということが心配になります。
病気が落ち着くかだけではなく、身体は大丈夫なのか。
家族の心配は、次々と形を変えていきました。
医師から、今後の治療や入院について説明を受けた
この日、医師とも話をしました。
診断については、改めて統合失調症だと説明されました。
そして、今後の治療や入院の見通しについても話がありました。
入院期間にはかなり個人差があると聞いた
病院では、ある程度の期間を見ながら治療し、状態が良くなれば、
外出や外泊などを挟みながら、退院後の生活へ戻していくという説明を受けました。
医師からは、比較的早く退院できる人もいれば、数か月かかる人もいる、という話も聞きました。
私はこの時、まだ、
「いつ家に帰れるんだろう」
ということばかり考えていました。
発症後も進学し、生活している人の例を聞いた
医師から、若い頃に発症して治療を続けながら、その後進学し、日常生活を送っている人の例も聞きました。
もちろん、その人と本人が同じ経過をたどるわけではありません。
それでも、入院したばかりで先がまったく見えなかった私には、
「統合失調症になっても、その先の生活はある」
という話だけで、少し救われました。
家族歴についても詳しく聞かれた
診察では、家族の精神疾患の治療歴についても聞かれました。
本人の父親には、精神疾患の治療歴があり、すでに亡くなっています。
私は家族から、うつ病だったと聞いていました。
医師から、別の精神疾患だった可能性についても確認された
医師からは、本当にうつ病だったのか、別の精神疾患だった可能性はなかったのか、という趣旨のことを何度か確認されました。
私は、
「うつ病だったと聞いています」
としか答えられませんでした。
正式な診断内容を、私自身が確認していたわけではなかったからです。
「もし違う病気だったなら」と考えた
その時私は、もし父親の診断が別のものだったのなら、今回の本人の発症について、少し理解できる部分があるのだろうか、とも考えました。
ただ、家族歴だけで統合失調症の発症を説明できるわけではありません。
このことは、後から調べて知りました。
→ 統合失調症は遺伝する?家族歴が気になって最初に調べたこと
点滴の針を外す時、本人は完全に怯えてしまった
病院に着いた時、本人はちょうど点滴を受けていました。
点滴が終わりそうだったので、この日はベッドのそばで面会することができました。
久しぶりに、本人と全身で向き合えたような気がしました。
テープを剥がす痛みと出血で、布団にも血がついた
点滴が終わり、スタッフが針やテープを外そうとしました。
腕に貼られていたテープを剥がすのも、本人にはかなり痛かったようです。
さらに本人が怖がって動いてしまったこともあり、針を抜いたところからかなり出血しました。
布団にも血がつくほどでした。
本人は、
「痛い」
「怖い」
と、ひどく怯えていました。
私も、血のついた布団を見て驚きました。
男性スタッフの大きな声にもびくっとした
出血への対応中、男性スタッフが、必要なものを持ってきてもらうために、病棟で大きな声を出しました。
もちろん、本人を怒鳴ったわけではありません。
それでも本人は、その声にびくっとしていました。
ただでさえ、何もかも怖く感じている時です。
痛み。
血。
知らない病院。
知らないスタッフ。
大きな声。
いろいろなものが、一度に本人へ押し寄せたように見えました。
小さな音や設備まで、本人には怖く感じられていた
この頃の本人は、普通ならあまり気にならないものにも、強く反応していました。
センサーで電気がつくだけでも怯えていた
病室では、人の動きに反応して照明がついたり消えたりすることがありました。
それだけでも、本人はびくっとしていました。
私から見れば、ただの設備です。
でも本人には、何か意味のあることのように感じられているのかもしれませんでした。
幻聴なのか妄想なのか、不安なのかは分からなかった
私は当時、
「幻聴の影響なのかな」
とも考えました。
でも、家族である私には、何が原因かは分かりません。
幻聴。
妄想的な不安。
入院という環境そのものへの恐怖。
症状全体の影響。
いくつものことが重なっていたのかもしれません。
だから今は、
「この時は、とにかく怖さが強かった」
という事実として残しておこうと思います。
「ご飯を食べないと、また点滴になるよ」と話した
点滴が一段落してから、私は本人と話しました。
このまま食事も水分も取れない状態が続けば、また点滴が必要になるかもしれません。
そこで、私は本人に、
「ご飯を食べないから、点滴しないといけなくなるんだよ」
という話をしました。
「おかゆとか、安全なものだけ少し食べるよ」
すると本人は、少し考えてから、
「分かった。おかゆとか、安全なものだけ少し食べるよ」
と言いました。
これが、この日の大きな変化でした。
何も食べたくない。
何も飲みたくない。
という状態から、
「食べられるものなら食べてみる」
へ、ほんの少し変わりました。
「点滴が嫌」が、食べるきっかけになった
もちろん、急に普通の食事ができるようになったわけではありません。
それでも、点滴で怖い思いをしたことで、
本人の中に、
「もう点滴は嫌だから、少し食べよう」
という気持ちが生まれたようでした。
理由は何であれ、本人自身が、
「じゃあ、こうしてみる」
と考えた。
私はそこに、少し本人が戻ってきたような感じがしました。
ここから、少しずつ食べられるものを口にするようになっていきました。
「安全なものなら食べる」には、元々の本人らしさもあった
ここは、後から何でも病気に結びつけないために、
書いておきたいことがあります。
本人は発症する前から、食品にかなり関心がありました。
化学が好きで、食品添加物も以前から気にしていた
本人は、化学分野に強い関心がありました。
進路として、化学を学ぶことを考えたこともあります。
そういうこともあり、以前から食品添加物について気にしていて、できるだけ避けたいという考えがありました。
だから、入院後に、
「添加物は嫌」
と言ったからといって、それだけで統合失調症の症状だったとは思っていません。
ペットボトルについても、以前から避けたがるところがあった
本人は、ペットボトルから出る微細なプラスチックについても気にしていて、以前から、できれば使いたくないという考えがありました。
そのため、入院中に、
「ペットボトルは嫌」
と言ったことも、言葉そのものだけを見れば、本人が元々持っていた考えとつながっています。
ただし、入院後は、その警戒の強さが明らかに違いました。
元々の価値観と、急性期の強い警戒心が重なっていた
ここは、今振り返っても、はっきり線を引くことはできません。
「できれば避けたい」が「安全じゃないから口にできない」に変わっていた
発症前であれば、
「できれば避けたい」
くらいだったものが、入院後は、
「安全かどうか分からないから口にできない」
というくらい強くなっているように見えました。
ペットボトルのお茶。
病院の食事。
薬。
スタッフ。
いろいろなものを警戒していました。
私が作ったお茶だけは「大丈夫」と思えた
本人は、私が家で作ったお茶なら飲む、と言いました。
そこで私は、毎回お茶を作って病院へ持っていくことにしました。
お茶そのものが特別だったわけではありません。
本人にとっては、
「お母さんが家で作ったもの」
ということが、安心材料だったのだと思います。
知らない病院。
知らない人。
知らない食事。
知らない薬。
その中で、家から持ってきたものだけは、以前から知っている。
それが、本人にとっての、数少ない「安全」だったのかもしれません。
穏やかな本人に戻ってきた。でも「治った」わけではなかった
この日、私は、入院前の激しい状態と比べると、本人がかなり穏やかになったと感じました。
声のトーンも、表情も、私との話し方も、少しずついつもの本人に近づいていました。
表面は穏やかでも、内側には「怖い」が残っていた
それでも、
点滴が怖い。
大きな声が怖い。
照明が怖い。
薬が怖い。
食事が怖い。
ペットボトルが怖い。
穏やかに話せることと、本人の中の不安が消えることは、別でした。
前日の面会でも、本人は、
「ここ怖いよ」
と言っていました。
→ 入院2日目|「ここ怖いよ」短い面会のあと、布団を頭からかぶっていた
「落ち着いた」と「回復した」は違うと感じた
私は、本人が普通に話しているだけで、
「戻ってきた」
と思いたくなっていました。
でも、今振り返ると、落ち着いて見えることと、症状がなくなることは別でした。
本人の中では、まだ現実を安全だと思えない部分が、たくさん残っていたのだと思います。
点滴で怖い思いをしたことが、少し食べるきっかけになった
この日の点滴は、本人にとって、かなり嫌な出来事だったと思います。
私も、布団に血がついているのを見て、胸が痛くなりました。
「もう点滴は嫌」が本人を少し動かした
でも結果として、その出来事が、
「点滴は嫌だから、少し食べよう」
という気持ちにつながりました。
入院してから初めて、本人自身が、食べることについて少し前向きな選択をした日だったように思います。
回復は、こういう小さな変化の積み重ねなのかもしれない
回復というと、薬が効いて、症状が一気になくなるようなものを、私はどこかで想像していました。
でも実際には、
「おかゆなら少し食べる」
というような、ほんの小さな変化が積み重なっていくのかもしれません。
この日の私は、まだそんなことまでは考えていませんでした。
ただ、
「食べるって言ってくれた」
それだけで、少しほっとしました。
今振り返って思うこと
入院3日目。
食事が取れず、水分も少なく、本人は点滴を受けました。
その点滴で、本人はかなり怖い思いをしました。
でも、その出来事が、
「食べない」
から、
「点滴は嫌だから、おかゆなら食べる」
へ変わるきっかけにもなりました。
一方で、食事やペットボトルを警戒する姿を見ていると、何が病気の影響で、何が元々の本人の考えなのか、簡単には分けられませんでした。
私は今も、何でも病気のせいにしたくはありません。
元々あった本人の価値観。
急性期に強まった不安。
妄想。
警戒心。
いろいろなものが重なって、この時の本人がいたのだと思います。
そしてこの日は、大きな回復ではないけれど、
本人が自分から「少し食べる」と言った日。
私にとっては、それが十分に大きな一歩でした。


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